Shimoshiの人生プラ転計画

ポンコツヘボリーマンShimoshiの奮闘記です

一家の歴史から学ぶ!起業家ひいおじいちゃんから、現在に至るまでの家族史

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今回この記事を書いたのは、ゴールデンウィーク中に友達と「靖国神社の歴史館」を訪れたのがキッカケです。

 

自分達の親、先祖は戦争に行ったのかとか、どんな仕事をしていたのか話しました。そのとき思ったのは、「我が家の歴史を、知ってるようで全然知らないなぁ・・・」というものでした。

 

 

親戚が生きている間に色々話しておきたかった・・・

おばあちゃん(2001年に亡くなっています)や、家族の歴史に詳しかったおじちゃん(2019年4月上旬に亡くなりました)が生きているときに、もっと話を聞いておけば良かった・・・。というのが今の心境です。当時は家族の歴史とか、興味無かったですからね(´・ω・`)

 

Shimoshi家の家系で、唯一家族の歴史に詳しかった親戚のおじちゃん(父親兄弟の次男)は、つい最近亡くなってしまいました。(三男の父親は、年が離れているため当時の事はおじちゃんより詳しくないのです)

 

生前は、おじちゃんに会う度にひいおじいちゃんの話や、我が家の歴史を永遠と語り出しており、「またその話かぁ・・・」と、あまり真面目に聞こうとしていませんでした。

 

しかし、亡くなってしまってから、もっと詳しく昔の事を聞いておけば良かったなぁと後悔しています。

 

亡くなってしまう前は他にやりたい事や、やらなければならないことが多く、「また今度でいいかぁ」となってしまいました・・・。

 

皆さんもそんな経験ないですか?

 

とてもザックリの家族の歴史と関係図

僕の父親はおじちゃんよりは詳しく無いですが、今も元気に仕事をしています。なので、今のうちに色々聞いておこうと思い、当時の話を聞きました。曖昧な部分が多いので、ザックリと歴史をまとめました。

 

我が家の関係図

 

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起業家だった「ひいおじいちゃん」

僕のひいおじいちゃんは牛乳会社の社長だったそうで、父親の住んでいた地域では結構有名で、かなりの資産家だった様です。

 

亡くなってしまったおじちゃんも、「小学生時代の工場見学で、おじいちゃんの牛乳会社を見学する事があったので少し恥ずかしかった」と話していました。

 

今もその会社があれば見てみたかったなぁ・・・

 

牛乳会社が潰れてしまった悲劇・・・

ひいおじいちゃんの世代で築き上げたりっぱな牛乳会社ですが、残念ながら現在は存在していないです。

 

理由は、「ひいおじいちゃんの息子達が大事なお金を遊び、飲みに使い込んでしまったから」です・・・(T-T)なんという悲劇!!

 

良く社長の息子はダメになってしまうと言いますが、まさにそのパターンです。ひいおじいちゃんの苦労の結晶は、無残にギャンブルやお酒の為に消えてしまったのです。

 

この話を聞いたときは、「しょーもないおじいちゃんだなぁ」と思いました。

 

 おじいちゃんとおばあちゃんの離婚

遊び歩き家に殆ど帰らなかったおじいちゃん。たまに家に帰ってきても、酒を飲んで騒いでいたそうです。また、他の女性の家に寝泊まりしていたそうです。ホント「しょーもないおじいちゃんだなぁ・・・」

 

家にお金を入れず、やりたい放題だったおじいちゃんに代わって、おばあちゃんはとても働き者!!彫刻した木彫り製品を販売して生活していました。おばあちゃんが彫刻した製品を見たことがありますが、とても綺麗で細かいところまで作り込まれていました。

 

ほぼ女手ひとつで父親達兄弟を育てたような感じです。想像しただけでも大変ですね。そんなおばあちゃんはとても尊敬できます。

 

そのおばあちゃんも、おじいちゃんの身勝手さに流石に限界がきたのでしょう。父親が中学校卒業辺りの時、離婚することになりました。

 

父親と父親の兄弟達

僕の父親、そして父親の兄(おじちゃん)達は、会社員時代もありましたが、最終的にはみんな独立を目指しました。

 

ちなみに父親兄弟には長女がいましたが、生後間もなく亡くなってしまいました。

 

父親兄弟の長男

父親の長男は頭が良く、学級委員を務めた経験もある成績優秀な人でした。高校卒業後は、東京都庁の建築課で設計の仕事をしていました。

 

とても活発というか無謀なところがあり、東京から地元までの区間約280kmを、自転車で帰ってきた事があったそうです。

 

これだけ優秀で活発な父親の長男。良い人生を歩めたのかというと、残念ながらそうではありませんでした。

 

独立を目指して周囲の反対を押し切り、東京都庁を辞めてしまいました。何をして独立するのか、どうやって収入を得るのか等、具体的な計画が無いまま突っ走ってしまった為、小さな会社を転々とする事になってしまいました。

 

独立の夢が崩れてしまい、精神的に参ってしまっている最中、痔の手術によって更なる悪夢が襲いました。手術後の抗生物質投与による副作用で、体が麻痺して不自由な体になったのです。僕が知っている父親の長男は、常に手が震え、体がこわばっており、しゃべり方も呂律が回らない状態でした。

 

父親の長男は2002年の11月に亡くなってしまいました。

 

父親兄弟の次男

父親兄弟の次男は中学校卒業後に、地元で奥さんを見つけてそのまま東京に出て就職しました。いくつかの企業を転々とし、最終的には独立します。

 

独立してどんなことをしていたかというと、当時としては斬新だったダミーカメラを個人で作っていました。見た目は本物そっくり!更に赤いLEDが点滅しており、実際にカメラが稼働している様に見えるのです。

僕が小学生(1998年頃)の時に無理を言って徹夜で作ってもらいました(笑)今もそのダミーカメラは家にあります。この時にダミーカメラの特許を取っていれば良かったんですけどね(;。;)

 

その後は本物の業務用カメラを販売していたそうです。

 

お金の管理があまり得意では無かった父親の次男。貯蓄は殆ど無く、投資とも無縁でした。奥さんもお金に関して無頓着なおじちゃんには、結構苦労したようです。

 

父親の次男は2019年4月上旬に亡くなってしまいました。Shimoshi家で唯一家族史に詳しかったのですが、もうお話を聞くことは永遠に出来なくなってしまいました。

 

父親

僕の父親は高校卒業後、父親の実家近く(それでも通勤時間1時間ほど)の塗料会社に就職しました。それから暫くして精密部品の会社に転職。その後フリーランスになり、教材の販売を行い、現在は健康用サプリの販売の仕事をしています。(パートでタンクローリーの運転手も行っています)

 

人と会って話をするのが好きな父親にとって、営業の仕事が一番向いていたのかも知れません。休日も夜も関係なくお客さんや仕事仲間からの電話、外出をしていましたからね。

 

昔は少しだけパチンコにハマっている時期もありましたが、基本真面目でお酒も嗜む程度でした。

 

父親もお金の管理は苦手な方で、お金が足りないとすぐに借金をする傾向がありました。そして、お金があると無駄な買い物などで浪費してしまいます(T-T)

 

ひいおじいちゃんの代から自由奔放な起業家の家系!?

ひいおじいちゃんの代から現在の父親に至るまで、形は様々ですが皆起業家を目指していたのだなと言うことが分かりました。大きな成功を収めたのはひいおじいちゃんだけですけれど・・・(^_^;

 

ひいおじいちゃんの代から、自由に生きるのが好きな家系なんだなということを知る、良い機会になりました。

 

 

先祖達から学ぶ生き方

残念ながら、ひいおじいちゃん以降の世代では、独立しても時間的にも経済的にも自由な生き方が出来たとは言えない状態でした。

 

何が原因だったのか考えたところ、「計画不足」「情報、知識不足」が主な原因だったと考えられます。戦後間もない時代でしたので、物資も書籍も殆ど無い環境です。仕方が無かったのかも知れませんが・・・。

 

しかし、今は情報も知識も当時からは考えられないくらい手に入れやすい状況です!これまで無鉄砲に突っ走ってしまい、失敗したおじちゃんもいましたが、そのおじちゃん達も情報と知識、計画性があれば、違った結果が生まれたかも知れません。

  

これまでの先祖達の苦労や経験を無駄にしないためにも、地道に道を切り開いて行きたいと考えています(^o^)